PROJECT
プロジェクト
育てながら、勝て。
『株式会社バイトレ』起業秘話

MEMBER

川村 将臣
2002年新卒入社
誰よりも組織を盛り上げ、誰よりも規律を重んじる。

佐藤 江里子
2004年入社
休日は、お菓子づくりにガチ没頭。
和洋100レシピを越える。
平日は毎朝3:00にパンを焼いて、焼き立てパンを食べながら出勤する。
いつもお腹をすかせている上司・同僚・後輩が、手造りパンやお菓子をほおばって満面の笑顔になるのを見ることが仕事とプライベートのモチベーション。
最近、仕事だけでなく体も成長する仲間社員が増えてきている。何か。

三浦 克伴
2005年入社
学生時代、“音楽は国境を越える”をアイデンティティに、野外ライブ・クラブのフリーDJ活動を行う。
自作曲をアレンジし、ライブハウスで披露する一方、PVの企画、編集も手がけた。
作曲で産みの苦しみを知っているからこそ、目標企業の受注を獲得するまで粘り強く諦めない。現在、新たなマーケティングプロジェクトを進行中。

非公開: 倉科 周平
2013年新卒入社
圧倒的なポジティブ思考。とてつもなく困難で、不安がたくさんあったとしても、彼の笑顔でその不安をなくす。学生時代のアルバイトで徹底的に鍛え上げられたスマイルで、仲間をポジティブにする男。
CONTENTS
挫折
「なぜだ?」
2人は口を揃えて「自分には能力がないのでついていけません。すみません。」と頭を下げた。
2人の社員は、新卒から鍛え上げた人物だった。意欲もあり、フットワークも軽く、通常の派遣コーディネータとしては期待値も高い人材だった。しかし、3か月も持たなかった。駅前でティッシュを配るサンプリングのバイト依頼を初めて受注したものの、バイトスタッフをなかなか調達できず、苦しんだ。かろうじて人数を揃えることができたが、その苦労は初受注で終わることはなかった。受注するたびにバイトスタッフを調達しなければならない毎日に心身ともに耐えられなくなったというのが離脱の理由だ。
彼らの前に川村の最初の部下となるはずだった中堅社員は2か月でギブアップしていた。事業の創設期に当然のことながら立ちはだかる、知名度のなさ。それは信頼性のなさに直結する。企業訪問しても担当者からはあからさまに怪訝な表情をされ、受注がもらえない。毎日が無駄足の現実が永遠に続くと思われる営業に耐えられなかったのが、1人目のギブアップの理由だった。
「バイトレ」という事業は、日々紹介・日々派遣を行っている。
長期の人材派遣をメイン業務としている綜合キャリアオプションでは対応できていなかった短期の派遣や紹介をビジネスとして切り拓いてみたいと思った川村は、社長の神保に直談判し、2008年、綜合キャリアオプション内に短期バイトを受注し、バイト先へ人材をコーディネイト(手配)する「バイトレ(アルバイト・トレーニングの略)事業部」を立ち上げたのだった。
事業のスタート期は泥臭い仕事、皆が避けて通りたい面倒な仕事に手を取られ疲労困憊となり、さらに先の見えない不安に心が折れてしまいがちだ。しかも、少人数チームゆえ、辛いことを共感する仲間も元気づける仲間もいない環境の中では、孤独、苛立ち、先が見えない恐怖との戦いに苛まれる。それは部下だけではない。リーダーを任された川村も同じ心境であった。事業がうまく行かないうえに、3人の部下が去っていたショックが輪をかけ、精神的にボロボロ。それでも川村は自らを奮い立たせ、社長室のドアをノックした。綜合キャリアオプションに在籍している、ある2人の社員をバイトレチームに異動させてほしいと神保社長にお願いするためだ。店舗責任者でもなく、店舗で活躍しているエース級でなくてもいい。しかし、粘り強く決して弱音をはかない男性社員と、どんなことも笑い飛ばせる肝っ玉の据わった女性社員がほしかった。
川村は、すでに目星をつけていた2人の名前を神保社長に伝えた。3人の部下を育てきれなかった川村は拒否されることも、いや、リーダー失格の烙印を押されることも半ば覚悟をしていた。
「顔を上げろ、川村。俺はお前に下駄を預けたんだ。お前のリクエストには応える。だがな、下を向くな。上を向いて戦え。どんなに辛くても苦しくても、リーダーは上を向いて笑ってなきゃいけないんだ。でなきゃ、部下はついてこない。」
神保社長のこのひと言が、バイトレの未来の起点となった。


三浦と佐藤
三浦克伴と佐藤江里子が異動してきた。川村が白羽の矢を立てた2人だ。ようやく「バイトレ」は上昇気流を描くはずだった。しかし、いまだリーマンショックに日本経済全体がまだ痛みから立ち直れていない状況下で、製造業を中心に雇い止めが相次ぎ、派遣業界はいっこうにジリ貧状態から抜け出せずにいる。さらに短期・単発派遣はといえば、業界最大手企業の度重なる違法派遣が表沙汰になり、世間のイメージは最悪。そんな状況で、たとえ有望な人材が揃ったとしても簡単に好転するはずなかった。
それでも川村はこれはチャンスと考えていた。「バイトレ」が短期・単発の正しい働き方を追求して、問題の起こらない仕組みを見える化すれば、シェアNo.1企業が撤退を余儀なくされた日々紹介・日々派遣市場で、逆に信頼を得られるはずだと。リーマンショックに揺れ動いているとはいえ、バイトしたいという人材も、バイトしてほしいという企業がゼロではないのだから。
「受注が全然、取れません。どうしていいか分かりません」
三浦が肩を落として、川村に相談して来た。
「昨日出した指示はやってみた?」
「はい、指示は全部実行しました。」
「じゃあ、OK、俺の指示が悪かったんだよ。次の施策を取っていこう」
「今日も企業にクレームを言われました!」
佐藤はどこにいてもよく聞こえる大きな声で報告してきた。
サンプリングの受注をもらっても、バイトスタッフを調達できず、調達できても一部のスタッフが途中で勝手に帰ってしまったりするので、企業担当者から怒りを買っているというのだ。確かに、怒るだろう。怒らない方がおかしい。
「じゃあ、1人だけの信頼置ける人を入れよう。後は入れなくていいよ。それよりも、次の受注に向かってほしい」
いま、取り組むべきことは、受注企業数をどれだけ増やせるかだと考えていた。見込みのない企業やクレーマー企業に時間を取られている暇はない。そもそも3名体制で手をかけられない現実もあるが、三浦と佐藤に過度の精神的負担をかけさせてはいけないと川村は経験から学んでいた。2人の心のひだを感じ取りながら、モチベーションを高め、きちんと説明を添えて指示を出す。納得して、仕事に取り組んでもらう。振り返ってみると、この人間臭いコーチングが、やがてバイトレの社風である強い人間力、結束力を生み出していった。事実、受注を取れ出したのはそれからだ。作文審査、大型イベント設営、大型物流派遣と次々に受注していった。
こうして「バイトレ事業部」は、2010年、事業部から念願の「株式会社バイトレ」へと法人化を果たしたのだ。


バイトレイズム
3人の「受注は足で取る」ガムシャラ式の事業は、確実に事業を右肩上がりへ一転させた。当時はほとんど新規営業だったため、企業様から「川村」が、「三浦」が、「佐藤」が信用を得られたかどうかが受注に直結していた。つまり、個人技で戦う集団であった。それだけに、新たに採用した人材には、挨拶や身だしなみ、「私にやらせてください!」という姿勢を徹底的に学んでもらった。綜合キャリアグループ品質に育て上げて、戦場へ送り出したのだ。「バイトレ」の強みは社員一人ひとりが当事者意識を持って、仕事を展開し、会社=自分という意識で発展させようとしている点にある。川村の「社員全員に会社創りに関われる風土を作り、自分が創っている、変えていけるという認識を持たせていきたい」というビジョンが浸透している証しである。
こうして、「バイトレ」は2010年の創業以来、連続前年比150%以上の成長を持続している。最近は物流大手企業の人材確保における戦略的パートナーとしてのニーズにも応えられるまでの信頼を得られるまでになったのだが…。
川村は懸念を抱いていた。相変わらず人的作業を介していることなので、イレギュラーは多いし、トラブルも多い。バイトスタッフの人数が増えれば、勤怠管理、給与計算、請求書発行などの工数が増える。工数が増えれば、それに対応する人員も増え、ミスも増える。すでに管理業務の手作業には限界がある。どれだけそれに対応できる人員を投入したところで、水平展開にしかならないからだ。この手作業を続けると、間もなく限界がくるだろう。遅延の処理、ミスの後処理で効率が悪くなり、人員を投入しても売上加速が落ち始める分岐点に到達する。その分岐点が来る前に、この事業スタイルを進化させなければならない。今ある業務の延長ではなく、劇的に飛躍させなければこの先、「バイトレ」の未来はないということだ。だから、川村の頭から懸念が消えなかった。と同時に川村らしく、変革のチャンスと予期していた。
川村は、アナログ作業の自動化を宣言した。人的マンパワーのアナログ作業から、自動化マッチングの構築へとシフト。簡単に言えば、企業担当者がほしい人材の予定を予約できる(当然、簡単に解約もできる)という企業利便性を追及したシフティングサービスの構築だ。
一方で、川村はこのバイトレ事業での人間臭いコミュニケーションは絶対になくさないと決めていた。人を動かすためは、人の心に呼びかけるしかないからだ。
バイトレ各店のリーダーたちは口々に言う。
「いまの新採用の世代は指示を受ける側が理解しなければ動かない。だから、しんどくても言い方を変えたり、工夫したりして、理解してもらえるまで伝え続けてます。川村さんが僕たちにしてくれたように。」
今年度の売上目標を達成するのも、目前に迫った。
どんなに売り上げが向上しようとも、新しい世代が仲間入りしようとも、シフティングサービスを導入しようとも、世の中が移ろいで行こうとも、「バイトレ」には変わらないイズムが貫かれている。
「バイトレ」は育てながら勝つ。

